第九 森からはじまる水の旅
 霧の中のウイルソン株
 知りあいなった島のおじいさんは、亡くなる直前に「島の宝は水だ」と言い残した。島は日本一降水量が多い。一年間で約八〇〇〇ミリの雨が降る。加えて、島には九州一高い山(標高一九三五メートル)をはじめ、一〇〇〇メートル以上の峰が三〇以上ある。島の直径は約三〇キロだから、日本一背の高い島である。
 豊富な水資源と急駿な地形は膨大な水力発電量を可能にする。いつもある水系のうち、現在発電が行われているのは一つの水系のみの二つ発電所だが、年間発電量は人口約一五万都市へ供給できる規模(島の人口は約一万六千ほどだろう)だ。離島にありがちな水と電力不足の問題がここにはない。ぼくはこの話しを聞いたとき非常に短絡的に、おじいさんは生活に重要な電力を産みだす雨は大切なんだ、恵まれているといいたかったのだと思った。
 しかし、森を歩き、たびたびスコールのように降ってくる雨に会いながら、おじいさんの「島の宝は水だ」という言葉にもっと深い意味があることを知った。
 インドネシア東カリマンタンの熱帯雨林では一年間にニ五〇〇〜三〇〇〇ミリの雨が降る。その半分は森から出る水蒸気で、その水蒸気が入道雲を発生させ再び雨を降らせる。水の循環はこうして繰り返されているという。千年の森も熱帯ではないが、同じ雨林である。木は葉から多くの水分を蒸散させる。光合成を行うために根から葉まで吸い上げられた水分が葉の気孔から蒸発するのだ。



 森に降った雨は葉をつたい、小さな流れをつくり、やがて大きな滝を下り、海へとたどり着く。森から森へと循環する雨の残りの半分が海へ行くのだろう。海へと流れた水も周辺の暖流に温められ、蒸発し、島の上空に雲をつくる。ぼくは頭の中で森から蒸発してできた雲と海から蒸発してできた雲を一つに描いた。その雨雲は島よりも大きい。
 熱帯雨林では土壌に約一センチしか腐葉土がないが、日本の森には平均五〇センチほどあるという。腐葉土はおもに倒木や落葉などから生成される。これが森に雨を溜める役割をする。乾燥したスポンジを斜めにして、その上に水を垂らしても水は表面だけを流れてしまうが、水分を含ませておくと水はスポンジの下から流れる。森の土壌に濡れたスポンジような保水能力をもたせているのが腐葉土だ。そのため、森は水を抱きとめることができ、再び空へ水を返せるのである。

雪の永田岳と宮ノ浦岳
 雨を受けた千年の森は輝くように緑を増した。豊かな水が豊かな森をつくり、豊かな森がまた豊かな水を生む。自然の循環は自然のままなら、永遠に健康的に繰り返される。ぼくはそれを体感しながら、おじいさんの言葉の奥にあるものがわかった気がした。
 それ以来、森で雨に会っても嫌な気分にならない。そのたびにこころの中で「島の宝は水だ」と繰り返しながら歩く。島に降り立つとき、上空に大きな雲が乗って全景が見えないときも、残念だという気持ちより安心した気持ちになるのである。
《文.蟹江節子》


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