第八 天空の花園
 千年の森をぬけて山頂に近づいていくと、そこには見わたすかぎりの花園が広がっている。花々はこの島にだけしか咲かないシャクナゲ。島の固有種四七のうちのひとつだ。
 ツボミのときは濃いピンクで、咲き始めると薄いピンクになり、開くと限りなく白に近いほのかな桃色を帯びる。濃いピンクから白へ移り変わっていく花である。そのため花園では、最盛期である六月上旬には一種の花にもかかわらず、微妙な色の競演が見られる。
 ぼくはこの季節の森が好きだ。梅雨時だから、雨の多い島でも当然もっとも雨の日が多い。しかし、雨に濡れた後の森にはいちだんと強い木々のにおいに満ちる。森全体も活力を得たように輝く。雨の後の森を知るひとはみな、こういう森を待ってしまうだろう。いちばん好きな季節の森をぬけて、ぼくは花園へと向かった。
 
 登りはじめたその日も早朝から雨音がした。千年の森では杉に着生したシャクナゲが可憐な花をつけている。だが雨は登れば登るほど激しくなり、昼過ぎにはどしゃぶりになった。森林限界に近いところにある湿原もすでに水量を増している。
 ふたつめの湿原を過ぎると道は山肌を巻くように登る。地面も岩になりすべりやすい。低木しかなくなるため、雨が直接あたった。だが、しだいに雨は小康してきた。湿原のオタマジャクだった大きなカエルがうれしそうに雨を浴びている。やがて日がさしてきた。
 さきほどまでの天気が嘘のような青空。その光の中で、低木地帯のシャクナゲも雨のしずくを残して微笑んでいる。山を巻く道が終わると巨岩の見渡せる場所に出た。花園地帯だ。
 花はいくつかグループになりながら、笹原に広大な花畑をつくっていた。どこまでもつづく無限のような花の世界。雨の後の森と同じように輝きながら、華やかな競演が催されている。空にいちばん近い花園。天空の花園だ。



 それはいろいろな人に見せたい風景だった。ひとつひとつの花の色の違いをゆっくり見ていると、終わりぎわの花が雨を受けてしぼみかかっている。透けるようにはかない白い色。ぼくはその花を見てあるひとを思い出した。そうして本当はしてはならないことだが、ツボミとピンクの花のついた小さな枝先をたおった。
 この年はシャクナゲの当たり年だった。十年に一度ともいわれる当たり年の花園は、花の海、あるいは天国のようだといわれる。

 ぼくは里に降りてシャクナゲの枝を届けた。じつは七〇歳は越えたであろう友人にこの花を見せたかったのだ。彼女は小さな手で一輪ざしに花を差し、
 「岳参り{たけまい}のようですねえ。おじいさんにも見せてあげましょう」そう言いながら仏壇にかざった。

 岳参りとは、昔、山が女人禁制の聖域とされていたころから島に続く山参りである。海で身を清めた若者の代表が山へ入り、シャクナゲの枝をたおって戻る。自然崇拝の行事である。
 おじいさんと話す彼女の楽しそうな声が聞こえる。ぼくに向けられたその背中は、手土産にもってきた花のように若々しかった。
《文.蟹江節子》


『第一章 千年の森へ』目次へ戻る
第九章