第五 森の主役


 L 翁杉

隆々とした筋肉。ときに力コブさえも見せる何千年のいのち。自分より大きなもの、はるかに偉大なものに対する動物的本能のなせるわざだろうか。歩みよっていくと最初に恐れがやってくる。だが不思議なことに、その気持ちに耐えて木のそばにいると離れがたくなる。母なるものに抱かれているようなやすらかさ。そういう具合で、ぼくはいつも千年の森の杉の前で長い時間を過ごす。
 それぞれ固有の名前を持っている杉。千年の森と名づけたのも彼らの存在があったからだ。

 しかし、ぼくはこの森でかれら以外の木にも魅了された。滑らかな木肌を誘惑的にしならせたヒメシャラ。天に向かって巻いていくかのように立つハリギリ。杉やツガ、モミなどの巨木に抱きついて太くなったヤマグルマ。生きている木だけでなく、土埋木と呼ばれる杉の切り株や倒木とそれらにびっしりとついた無数のコケ。これらのいのちの勢いに圧倒されたのだ。



Lヒメシャラの幹(脱皮することによって着生植物から
 身を守る)
 右の写真はヒメシャラの花

 

 さらにじっとたたずんでいると、低木たちのにぎわいも見えてくる。リンゴのような実をつけるリンゴツバキ。アジサイのような白い花をつけるノリウツギ。マユミ、ヒサカキ、ユズリハ、ナナカマド、サツキなど。イスノキ、タブノキ、バリバリノキなど、ほかのたくさんの種類の木のたくましいいのちも感じる。
 ぼくは森全体に何かを語られているように、強く魅きつけられていった。そうやって時間をかさねていくうちに、あることに思いあたった。


森は森に生きる木々すべてがあってこそ森として成立する。森には主役などなくて、森そのもの、そこに生きるものすべてが主役だ。千年の森の主役も、この森の木々、花、草、昆虫、鳥、すべての生きものである。生まれたてのいのちから何千年のいのちまで、すべての存在なのだ。
 それ以来、ぼくは千年の森の主だと思っていた最長寿の杉に会いに行かなくなった。森のさまざまな生きものの生命に満ちあふれてる場所。その杉よりも十分に魅力的な場所を発見したからだ。


Lコケスミレの花

そこは最長寿の杉へのぼっていく登山道の入り口に当たる。白谷雲水峡から辻峠にかけて広がる森で、歩きはじめは登山道の脇を滝のように流れていた水が峠に近づくにつれて細くなる。流れの勢いに反比例するように森はしだいに潤おいを増し、木をおおったコケからは水滴がにじみ出る。
 どこへ行かなくとも、島へ行くたびかならずここへは足が向いてしまう。歩くたびに森は違う素顔を見せる。以前歩いたときには見えなかった花が咲いていたり、実がなっていたり、やって来る鳥にも種類があった。森に生きるものすべてに会いに、ぼくは今日も千年の森へ行く。

《文.蟹江節子》


 

 

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