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上の方が1961年の火災で消失している。このいちばん上の場所から下の湖を見るとはるか彼方に湖が見える。この巨大な木の連なりが同じ遺伝子をもっているというのは理屈でわかっても、到底理解できないような大きさだ。
この木はちょうどイチゴがツルを伸ばしていくとそこから根を出すように、これと同じように枝が土に着いたところから根を出す。冬は豪雪なので、京都の台杉のように枝が雪で地面に押し付けられたところから根を出すわけだ。
ドンドン大きくなるわけだが、現存する一番古いところは約1700歳。土壌はとても水分が豊富でこの水のせいもあり、倒れた木も土中に長く腐らずにいたと思われれ。もちろんただでさえ、屋久杉のように脂分が多い樹種だ。
鳥取大学名誉教授の小笠原先生は年輪をサンプリングした。相変わらずうちのお袋さんはやらせて欲しいと穴を開けるのを手伝っていた。
この生きているものの年輪と、土中で腐らずにいる死んだ木の年輪を重ね合わせていくと、5000年前までさかのぼれるという。この年輪を重ね合わせて過去の、日照時間などを調べて行く学問を年輪年代学という。しかし、これでは12000年までとどかない。いったいこの樹齢はどこから来たのだろう。
実は花粉だ。この木の下は湖で終わっていて、この湖は氷河時代凍っていたが、約12000年前には溶けていたと考えられている。この、湖底の地層からこのヒュウオンパインの花粉を採取することができたいる。この花粉とその周りを放射性炭素という方法ではかり、12000年という年を算出している。
もちろんこの花粉が本当にこの木のものかどうかという根拠だが、100%ではない。マイクさんも100%だとは言っていない。ただ。この木周りは20Km四方同じ樹種の気は無い。また、ここは標高約950mぐらいだが一般的なヒュウオンパインは100mいかの標高のところに生息している。断定はできないが、他の木の花粉であるということはきわめて考えにくいということだ。
今回は移動が多く、あまり絵が描けませんでした。ただ、ここではわりと時間が合ったので墨を入れだけですがアウトラインが描けました。
硬くてサンプルがとりにくかったので、小笠原先生に替わりマイクさんがサンプルをとってくれた。サンプルの一つは日原の森林館へ、1本は小笠原さんが持ち帰りました.

年輪は本当に細かく、肉眼で確認するのが大変でした。

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