称名寺の椎
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数年前にこの木を撮影したとき、お寺の子供だと思うんだけど、姉妹が木の下で遊んでいるんです。3才か4才ぐらいかなあ。一緒に連れていったうちの子の方が少し大きかったんで、「お兄ちゃん、お兄ちゃん」ってなついて、かわいくってねえ。うちの子と違って彼女達は毎日、あの木の下で育ってるんですよ。最近、身近に深い森があるとか、大きな巨木があるとかそういった自然のすごさが感じら れるものって都会からは減ってるでしょう。だから毎日こんな大きな木の下を歩いている子って今ごろどんなになっているかなって、よく思い出すんですよ。 僕は、この称名寺の椎が好きで、なぜかというと巨樹ってよくよく見ると人間ぽく見えるところがあるんですよ。「この木は青年期で伸び盛りだ」とか、「こいつはちょっと俗っぽい」とかね(笑)。巨木になるとなおさらなんだけれど性格がよく現れている木が多いんです。称名寺の椎は結構“元気なオヤジ”で、なんか「やったるぜい!」みたいな感じがするんだなあ。 いつも思うんだけど写真を撮っているときに、なんか撮りきれないというかいろんな角度で撮影しても、木にいろんな表情がありすぎて撮っても撮ってもまだまだ木が違った表情を見せてくれる木は僕は好きなんですよ。 ちょっと違うかもしれないけど優れたアートって多面性があるでしょう。たとえばモナリザだって、若い女だと言う人もいれば結構歳をとっているという人もいる。泣いているようでもあるし、喜びをこらえているようでもある。 そして、そんないろんな表情を持つ木を見て育つ子供は、いったいこの木のいくつの表情を見て大きくなるのかなあ。 |